Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

再び自然妊娠からの2人目出産

前回の更新から1年以上も更新できずに過ぎてしまいました。
はてなブログもproから無料へと変えてしまったので、アクセスがあった際にきちんとサイトが見れているのかどうなのかもあまり把握しておりません^^;
せめて読者登録してくださっている方にだけでも、更新がわかるようになっていればいいのですが・・・。

さてタイトルの通り、去年の6月の流産後から、再び自然妊娠に至ることができました。

yuyuyunana.hatenablog.com

出産ギリギリで更新予定が、間に合わず2人目出産後にようやく更新しています。
下書きもほぼ終わり、翌日更新するつもりが出産になってしまった・・・!
娘は7月に2歳になり、わたしは専業主婦の身ではありますが、現在産前産後枠で保育園を利用させてもらっています。
あまり負担をかけずに産前産後を過ごさせてもらってありがたい日々です。

 

これまでの経過

簡単に経過などをまとめてみました。

2021年 6月 流産手術

    7月 生理再開→すぐにでも妊活再開したかったものの、体調不良によりお休み

    8月 夫の転職が決まる 関東某県から関西へ引っ越しのため妊活もお休み

    11月 妊活再開 自己タイミング→リセット

    12月      自己タイミング→陽性

2022年 8月 出産

    9月 一か月健診にて胎盤遺残の診断→現在も経過観察中

まずこの1年で、夫の転職にともない関東から関西へ引っ越しました。
関西は義実家があるのと、わたしもそろそろ腰を据えて生活したい願望もあるので、定住できればいいのですが。
さすがに引っ越し準備と生活が落ち着くまで妊活はお休みしました。

11月に再開し、その月はリセット。
ここだけの話、去年流産にはなったけど自己タイミング1周期目で妊娠できたこともあったのか、回数的な意味で夫に手を抜かれてしまいました。
わたしはもうちょっとタイミングをとっておきたかった・・・。
2周期目で回数を増やしたところ、再び自己タイミングでも陽性を見ることができました。

妊娠初期と胎盤遺残

つわりは娘ときは一日横になって過ごすことも多かったのですが、それよりは軽く。
胸やけとにおいづわりはありましたが、夕方以降調子が悪いことも多く、午前中は娘を支援センターで遊ばせたりすることもでき乗り切りました。

妊娠経過としては初期は絨毛膜下血腫と胎盤の位置もよくなく、不安な日々を過ごしました。
特に絨毛膜下血腫は一度それで前期破水につながり人工死産に至ったので、同じ道をたどるのではとよぎる瞬間も。
なにもしないよりはとできる範囲での安静や漢方も買って飲んでみたりと過ごし、なんとか胎盤も血腫も改善傾向へむかい・・・
妊娠中期以降からは特に問題などは指摘されず、無事出産に至っています。
絨毛膜下血腫は体外受精のほうがなりやすいと聞いていたので、自然妊娠ならきっと経過は順調と思い込んでいましたが、どうやら関係ないようで・・・
わたしの場合、もう体質ですかね(泣)

そしてまさかの胎盤遺残再び。
出産のときに胎盤がなかなか出ずに時間がかかっていたので、嫌な予感はあった・・・!
死産後とは違い血流はないようで、大出血の可能性は低いようですが、現在完治しておらず経過観察中です。
余裕があれば完治後にブログ更新もできたらいいですが、更新できない可能性も高く^^;
一時的にTwitterの妊活・治療アカウントを胎盤遺残記録用に更新しているので、ここだけでも報告できたらと考えています。

@yuyuyunana1221

凍結胚の移送

自己タイミングで授かれなかった場合、移植再開も視野に入れていました。
関西から東京へ通院するのは現実的ではないと思ったため、凍結胚の移送をするつもりでした。
クリニックへ問い合わせたところ、移送も可能とのことだったので、どなたかの参考や備忘代わりに書いておきます。

まずドライシッパーという液体窒素専用の容器が、運送会社からレンタルできるか確認する。
そのまま運送会社を利用して運ぶのか、自分で運ぶのか計画を立てる。
移送候補日をいくつか出す。
新しい転院先のクリニックとのやりとりなども、クリニック同士ではなく自分でおこなってもらう。

基本的には手順だけ教えてもらって、こちらが動くかたちで移送可能のようでした。
移送不可のクリニックもあると思うので、(しなかったにしろ)移送できるだけでもありがたいです。
8月はちょうど凍結胚の更新月なのですが、いまのところ無事に生まれたら破棄予定で考えています。
クリニックに報告とお礼の手紙を添えて、破棄の手続きをしました。
死産した子と娘と同じときに採卵したので、破棄するのはとても心苦しいのですが・・・。
我が家は3人目はあるともないとも決まっていないのですが、もしあるとしても高度治療はもう卒業かなと。

和通分娩予定が・・・和通分娩できず

娘のときに促進剤を使っての陣痛がトラウマレベルだったので、和通分娩できる産院を選びました。
予定日2日前に就寝しようとしたらなにかじわじわ漏れている感覚が。
破水か尿漏れなのかいまいち区別できず・・・
夫と相談し産院にも電話し、受診することに。

羊水検査の結果破水だったため、0時半頃入院決定。
深夜のため和通分娩のための麻酔の医師がおらず、呼ぶ場合は40分程度かかることが説明される。
お昼頃に産まれたらいいなとこのときはのんびり考えていたけど、徐々に陣痛がきてしまい・・・
陣痛の進みも予想より早く、4時頃に麻酔の先生をお願いしますと言ったものの、もう間に合わず。
結局5時過ぎに自然分娩で男の子を出産しました。
和通分娩の希望は叶わなかったけど、促進剤を使わずの出産をようやく経験できたし、なにより無事に生まれてくれてよかったです。

感謝の気持ち

胎盤遺残はあるものの、現在2児の育児に奮闘する生活を送っています。
次回更新は未定で、もしかしたらこのままブログからはフェードアウトしてしまう可能性もあるのですが、便りがないのは元気な証拠と思っていただけたら。
不妊治療、妊活メインのブログということもあり、なんとか(いったんは)2人目出産まで完結できてうれしい限りです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

 

育児関係、日常メインのTwitterアカウントもあります。
そちらでもつながってくださる方がいましたら、ぜひよろしくお願いします。
@yuna1221m

久しぶりの更新とご報告

f:id:yuyuyunana:20210531001625j:plain

半年ぶりの更新になります。
早いもので娘も10ヶ月になりました。
前回の記事の最後に書いた、もう少し書きたいことというのは、
産前に購入したものリストの答え合わせ的な内容だったのですが・・・
それよりも急遽記事にしたいことができました。

結論から書くと、二人目妊活を始めたところ、自己タイミング1周期目で自然妊娠することができました。
現在7週の心拍確認済み、予定日は1月中旬になります。
予想外のスピード感に、正直戸惑いを隠せません。
苦節3年半、死産からの胎盤遺残、移植3回という経歴の持ち主なので、
「こんなにも早く授かれるとは思っていませんでした」・・・という某芸能人のコメントを反芻させております。

 

産後半年での経過観察

まずは産後1ヵ月検診で「産後半年くらい経ったら子宮腺筋症を診てもらったほうがいい」と言われていたため、婦人科を受診したのが2月。(産後7ヵ月)
そこでの結果はチョコレート嚢胞は小さい状態、腺筋症も確認できるものの
「この程度なら自然妊娠できるんじゃないですか?」とのことでした。
でも年齢を考えたら急いだほうがいいとも。
正直自然妊娠できるの言葉を、真剣には受け取りませんでした。
それを通院していた東京の不妊治療専門のクリニックで言われるならまだしも、
ここ地方の不妊専門でもない産婦人科だし・・・。
逆に東京時代の通院ではまだ若いから大丈夫の言葉を何回かかけられたこともあって、
年齢的に急げのほうにグサッときた。
タイミング法を試すのにここに通院することもできたかもしれないけど、
混んでいることもあり自己タイミング→移植再開の意志が固まりました。
ここでの通院はこれで完結します。

 

妊活スタート

さて離乳食も3回食が定着し、支援センターには週3くらいでお世話になったりと、
少しずつ娘も一人遊びできる時間も増えてきて・・・
生活のリズムができてきたこともあり、妊活を始めることにしたのが4月。
しっかり夫と相談していたわけではなかったけど、
わたしのなかでは自己タイミングを3周期くらい試してみて、
娘が1歳頃になったら移植再開、丸2歳差前後で二人目を出産できたら・・・くらいに考えていました。
アプリはルナルナを使用。
これは参考にするためというより記録用にインストールしました。

 

初めて見た陽性

5月になり、生理予定日から4日過ぎたところでおや?と徐々にそわそわ。
けれどこのくらい誤差の範囲内なのでは。
フライング検査は否定派なのと、真っ白な検査薬を見てショックを受けたくないので予定日一週間以上経ってから検査すると心に決めていました。
そして迎えた予定日から8日後。
人生で初めて見た陽性の検査薬に嬉しいよりも
え!?こんなあっさり妊娠できるの?
この3年半なんだったの!?
一人目もこのくらいで授かりたかった・・・!!!
という気持ちでいっぱいに。

もちろん一人目で妊娠できる身体の基盤のようなものができたからこその結果だとは思うのですが、
嬉しいよりもなんだか悔しさが先行してしまった。

その陽性確認から2日後にクリニックを受診し
正常妊娠と胎嚢確認(5週6日)、
一週間後に心拍確認(6週6日)でき現在に至ります。

 

その他、書きとどめておきたいことやひとり言

・自然妊娠できたのは、やはり一度(最後まで)妊娠できた要素が大きいと思っています。
チョコレート嚢胞は特にそうですが、生理を重ねるほど悪くなるのは有名なお話。
子宮や卵巣にとって妊娠している状態が一番休まっている状態だそうで。
昔は早い年齢から出産して兄弟が多いのが珍しくない時代だったので、
婦人系の病気は少なかったと聞いたことがあります。

・夫には(どうせ気にしてないだろうし)生理が遅れていることをあえて報告せずに、
もし陽性だった場合びっくりさせて鼻をあかしてやりたいくらいに考えていたのですが、
腹が立つことに検査薬をやろうと思っていた直前になにか察したものがあったのか、
「そういえば生理きたの?」と聞かれてしまいました。
サプライズ計画は失敗に終わった・・・。

 

・無事に出産できれば娘とは1歳半差。
わたし自身が弟と年子(1歳5ヵ月差)でして、母に「年子で本当に大変だった」と聞かされながら育ったのに、まさか自分も同じ道をたどるかもしれないなんて。
実家も義実家も頼れない環境で年子育児って、自分のキャパ的には大丈夫なんだろうか・・・。

 

・このたびは里帰り出産もしない予定。
そのかわりじゃなけど、総合病院にもこりごりなので、
できれば無痛分娩できる個人の産院で産みたい。
これも体外で妊娠だった場合、リスクを考えて泣く泣く総合病院にした可能性もありました。

 

・リスクといえば、自分は体外受精のリスクと説明された
絨毛膜下血腫(のちに死産の原因に)
胎盤遺残
出産時の出血量多量(1リットルくらい)

を実際に経験しました。
体外受精でも問題なく順調な経過・出産できればよかったですが、
この経緯もあって自然妊娠にはスムーズさを期待してしまう。

 

・移植再開するとしたら片道2時間かけて東京のクリニックに通うのに、
娘を連れていくかどうかも悩ましかったのでそこはちょっと一安心。
クリニックは院長が一人でやっているこじんまりしているところで、
子連れ禁止ではないものの、不妊治療専門ではあるし肩身は狭い。
一人目不妊だったら連れてこないでほしいと思われても仕方ない世界。
通院していたとき子連れのかたも多々見かけていたのですが、
不快より一人目も体外なのか二人目不妊なのか気になるという目で見てました。

 

・周りでも「一人目は時間かかったけど二人目はすぐできた」という方々の声をたまに聞いていて。
自分もあやかれたらいいなという気持ちはあったけど・・・
「でもそういう人って一人目でも高度治療までやらずに授かってるんでしょ?」というひねくれた感情もあった(笑)

 

・生理は2月に再開したので3回ありました。
母乳の出が悪くなってきたと感じてきたところで再開したので、
(たまたまかもしれないけど)身体ってすごい。
4~5月は母乳はもう一日1~2回程度で、ミルクよりの混合だったしいつやめてもいいくらいだったのをダラダラ続けていたのですが、これを機に卒乳しました。
妊娠・胎嚢確認に行ったときに医師に「流産の原因にもなる」と脅されたので;

 

・三人目についてはまだ夫と話し合ったことはなく、
わたし自身二人姉弟で三人に憧れはあるものの、
前提としてそもそも不妊、年齢と経済的なことを考えると無謀かな?とも思う。
二人目は夫は変わらず女の子希望、わたしはできれば男の子希望なので、もし女の子だったら男の子も欲しいとか思うような気も・・・。
これが最後の妊娠と出産になる可能性もあります。

 

次回の更新は未定です。
なにか特別に書きたいと思うことがない限り、
娘のときのように健診レポも書くつもりもありません。
便りがないのは元気な証拠といいますか、
あまり考えたくないですがなにかあったほうが更新すると思います。
夢にまで見た自然妊娠、どうかこのまま経過も順調で年明けに無事に出産報告できる未来でありますように。

41w3d 出産

5か月ぶりの更新になります。
7月に無事に女の子を出産しました。
予想通り41週3日、予定日超過による誘発分娩で陣痛促進剤を使っての出産になりました。
なにもかも手探りでの育児が始まり、2か月で里帰りから帰還、自宅での生活がスタート。
そこから最近少しずつ自分の時間も持てるようになり、ようやくブログを書いています。
産前はかなりブログに時間を割いていたこともあり、更新していない間も気がかりだったのですが・・・
やっと書くことができて嬉しいです。

当日の流れ

朝一から入院が決まっていたため、家族に一言挨拶し、父の仏壇にも手を合わせて出発。

到着後、手続きなどを済ませLDRに移動。
(まずここでタイミングよくお通じが出たことに感謝。
病院によっては浣腸があるところもあるらしいですね。
仮に漏らしたとしてもスタッフは気にしないでしょうが、こっちはやはり避けたいものなので・・・!!)

診察を受ける。
子宮口は柔らかいものの、前回の2.5㎝からさほど変化なし。

促進剤について

促進剤は1時間ごとに、1日6回まで飲める飲み薬を使用。
まずは飲み薬で様子を見て、場合によっては点滴へ切り替える説明あり。

飲み薬→子宮口を柔らかくする
点滴→子宮を収縮させる

イメージとのこと。
(使ったことがある膣錠の場合も聞きましたが、
「膣錠は強力なので赤ちゃんを完全に諦めるときに使います」と返答いただき、察するものがありました。)

心配していた拡張処理はなく、一安心。

10時半から1時間ごとに飲み薬を飲み始める。
だんだん頻尿とお腹の張り、ときどき痛みが気になってくる。
それでも昼食を食べたり、スマホを見たりする余裕はまだあり。(15時頃まで)

壮絶だった陣痛

1日ぶんの6回をすべて飲みきる。
15時以降から本格的な陣痛が始まり、とにかく激痛だった記憶しかない。
正直想像以上に痛く、かなりのトラウマ。
そのときに思ったことは・・・

痛い。
心から、心の底から痛い。
死産を経験したんだから、無事に生まれる前提の痛みはきっと乗り越えられるはずと前向きに考えていたが甘かった。
そんなものは関係なかった。
とにかく早く終わってほしいや、解放されたいの気持ちでいっぱい。
世のお母さんはみんなこの痛みを経験しているの!?ウソでしょ!?
波があるので、痛みがすぅーっと和らいでも、これからまた痛くなるんだと思うと心が折れそう。
そしてTwitterで見かけていた無痛分娩最高という言葉を思い出して羨んだり、
帝王切開だったら経験しなくてよかったのかなというブラックな感情もフツフツと・・・
個人的には、お腹を痛めて生まないと母になれないとか愛情がわかないとかそんなものは関係ないと思った。
痛くないほうがいいに越したことがない。
むしろ初産なら休む間もなく、白紙から始まる育児に体力を残しておいたほうがいい。
翌日が七夕だったため、もし七夕生まれになったらロマンチックで嬉しいなんてことも考えたけど・・・
陣痛が始まってしまえばもうとにかく早く生まれてほしいに切り替わった。

出産~出産直後

ようやくいきんでいい許可がおり、寸前でジョキンと切られ、「痛っ!」と言った瞬間。
18時15分に3,468g、分娩所要時間4時間55分で出産しました。
初めて見た娘の印象は「え、思ったより大きい!そして思ったより髪フサフサ!」
顔は裸眼だったこともあり、よく見えず印象に薄い、、、

感動で涙ぽろぽろ・・・なんてことも想像してたけど、
それよりようやく解放されて助かった!という気持ち。
疲労困憊でグッタリ。

これまでの人生でケガや病気などで痛い思いをしたことはあっても、
絶叫するほどってなかなかないじゃないですか。
終わってからめちゃくちゃ恥ずかしくなってスタッフに謝ったりもしてたんですが、
「全然そんなことなかったですよ。すごい人はもっとすごいです」とフォローをもらったけど・・・ほんまかいな。

会陰切開は3㎝ほどで、縫合の処置を受ける。
これが担当医が研修医に指導しながらで、早くしてくれ~(泣)という気持ちと、
いやいやこれも未来の医療のために必要なことなんだという気持ちで板挟み。

産後直後は出血量多め(1リットルくらい)
子宮の戻り悪めという状態。

でもそれより・・・
その後の病院のスパルタな授乳指導や、
疲労もあって辛い入院生活を送りました。
愚痴っぽくなるのと読んでも面白いとは思えないので詳細までは書きませんが・・・
妊婦健診の記事でも書いていた、「辛いときはすぐ預かってもらえますよ」くらいの雰囲気を医師から出されたけどこれも甘かった。
ぜんぜんそんな雰囲気ではありません。
後日談だけど病棟と外来はそこまで連携が取れていない印象だったので、医師目線だとそう見えてたのかな。

嬉しかったことは退院が日曜だったため、入院・分娩費は概算しか知らされず後日の支払いになり、
あとから誘発分娩かつ入院初日に出産というのが保険適用になったようで、概算の半額になったことでしょうか・・・。

その他、書きとどめておきたいこと

・破水は出産直前、いきんでからだった。
早くから破水してしまうとそのぶん赤ちゃんに負担がかかってしまうと思われるので、その面ではよかったのかなと。

・知人では促進剤と自然陣痛の両経験者だと、促進剤のほうが痛かったという声が多かった。
促進剤使っても3日とかかかる人もいらっしゃいますが、私のなかでは痛みが強かったぶん早く生まれてくれたと思うことに。

促進剤→短距離走
自然陣痛→長距離走のイメージ

・もし次も出産を経験するのなら無痛分娩がいいけど・・・
産院がかなり限られるので・・・リスクを考えると夫に反対されそう。

・心配していた胎盤遺残もこのたびは心配なしで一安心。

・しかし一か月健診にて子宮腺筋症やチョコレート嚢胞の状態を診てもらったところ、
チョコ→いまは小さいけど生理が再開すると大きくなる可能性あり。
腺筋症→産後半年くらいからかかりつけ医で様子を診てもらうことを勧められる。

出産を経て

出産を報告した人から、もちろん「おめでとう」と温かい言葉もいただいたけれど、
それはあくまでわたし宛で。
わたしのなかでは夫と二人で頑張ってやっとここまでこれたという思いがあって。
翌日トツキトオカを生まれた設定にしたら、親子三人のイラストの画面に切り替わってそこでスイッチが入ったようで・・・
じーんとこみあげてきて、やっと「よかった」と涙が出てきました。

ようやくここまでくることができました。
自己流妊活から始めて、出産まで3年半。
タイミング法、人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残を経て、3回目の移植での出産。
やっと無事に我が子に会うことができました。
振り返ってあのときもっとこう考えていたら、こうしていたら悲しい思いをせずに済んだ、違う未来になったんじゃないのか、とも考えることもありますが・・・(結果論ともいう)

このブログの存在にもとても助けられました。
交流というよりは一方的に発信する場ではあったけど、
気持ちの整理やモチベーションにつながっていたように感じます。
通りすがりに読んでくれた方、
読者登録やスターをつけてくださった方、
コメントをくださった方など、
このブログを通して関わってくださりありがとうございました。


今後の更新はもう少し書きたいことがあるので、まずはそちらの更新ができたらいいな・・・!


f:id:yuyuyunana:20201201174148j:image