Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

41w3d 出産

5か月ぶりの更新になります。
7月に無事に女の子を出産しました。
予想通り41週3日、予定日超過による誘発分娩で陣痛促進剤を使っての出産になりました。
なにもかも手探りでの育児が始まり、2か月で里帰りから帰還、自宅での生活がスタート。
そこから最近少しずつ自分の時間も持てるようになり、ようやくブログを書いています。
産前はかなりブログに時間を割いていたこともあり、更新していない間も気がかりだったのですが・・・
やっと書くことができて嬉しいです。

当日の流れ

朝一から入院が決まっていたため、家族に一言挨拶し、父の仏壇にも手を合わせて出発。

到着後、手続きなどを済ませLDRに移動。
(まずここでタイミングよくお通じが出たことに感謝。
病院によっては浣腸があるところもあるらしいですね。
仮に漏らしたとしてもスタッフは気にしないでしょうが、こっちはやはり避けたいものなので・・・!!)

診察を受ける。
子宮口は柔らかいものの、前回の2.5㎝からさほど変化なし。

促進剤について

促進剤は1時間ごとに、1日6回まで飲める飲み薬を使用。
まずは飲み薬で様子を見て、場合によっては点滴へ切り替える説明あり。

飲み薬→子宮口を柔らかくする
点滴→子宮を収縮させる

イメージとのこと。
(使ったことがある膣錠の場合も聞きましたが、
「膣錠は強力なので赤ちゃんを完全に諦めるときに使います」と返答いただき、察するものがありました。)

心配していた拡張処理はなく、一安心。

10時半から1時間ごとに飲み薬を飲み始める。
だんだん頻尿とお腹の張り、ときどき痛みが気になってくる。
それでも昼食を食べたり、スマホを見たりする余裕はまだあり。(15時頃まで)

壮絶だった陣痛

1日ぶんの6回をすべて飲みきる。
15時以降から本格的な陣痛が始まり、とにかく激痛だった記憶しかない。
正直想像以上に痛く、かなりのトラウマ。
そのときに思ったことは・・・

痛い。
心から、心の底から痛い。
死産を経験したんだから、無事に生まれる前提の痛みはきっと乗り越えられるはずと前向きに考えていたが甘かった。
そんなものは関係なかった。
とにかく早く終わってほしいや、解放されたいの気持ちでいっぱい。
世のお母さんはみんなこの痛みを経験しているの!?ウソでしょ!?
波があるので、痛みがすぅーっと和らいでも、これからまた痛くなるんだと思うと心が折れそう。
そしてTwitterで見かけていた無痛分娩最高という言葉を思い出して羨んだり、
帝王切開だったら経験しなくてよかったのかなというブラックな感情もフツフツと・・・
個人的には、お腹を痛めて生まないと母になれないとか愛情がわかないとかそんなものは関係ないと思った。
痛くないほうがいいに越したことがない。
むしろ初産なら休む間もなく、白紙から始まる育児に体力を残しておいたほうがいい。
翌日が七夕だったため、もし七夕生まれになったらロマンチックで嬉しいなんてことも考えたけど・・・
陣痛が始まってしまえばもうとにかく早く生まれてほしいに切り替わった。

出産~出産直後

ようやくいきんでいい許可がおり、寸前でジョキンと切られ、「痛っ!」と言った瞬間。
18時15分に3,468g、分娩所要時間4時間55分で出産しました。
初めて見た娘の印象は「え、思ったより大きい!そして思ったより髪フサフサ!」
顔は裸眼だったこともあり、よく見えず印象に薄い、、、

感動で涙ぽろぽろ・・・なんてことも想像してたけど、
それよりようやく解放されて助かった!という気持ち。
疲労困憊でグッタリ。

これまでの人生でケガや病気などで痛い思いをしたことはあっても、
絶叫するほどってなかなかないじゃないですか。
終わってからめちゃくちゃ恥ずかしくなってスタッフに謝ったりもしてたんですが、
「全然そんなことなかったですよ。すごい人はもっとすごいです」とフォローをもらったけど・・・ほんまかいな。

会陰切開は3㎝ほどで、縫合の処置を受ける。
これが担当医が研修医に指導しながらで、早くしてくれ~(泣)という気持ちと、
いやいやこれも未来の医療のために必要なことなんだという気持ちで板挟み。

産後直後は出血量多め(1リットルくらい)
子宮の戻り悪めという状態。

でもそれより・・・
その後の病院のスパルタな授乳指導や、
疲労もあって辛い入院生活を送りました。
愚痴っぽくなるのと読んでも面白いとは思えないので詳細までは書きませんが・・・
妊婦健診の記事でも書いていた、「辛いときはすぐ預かってもらえますよ」くらいの雰囲気を医師から出されたけどこれも甘かった。
ぜんぜんそんな雰囲気ではありません。
後日談だけど病棟と外来はそこまで連携が取れていない印象だったので、医師目線だとそう見えてたのかな。

嬉しかったことは退院が日曜だったため、入院・分娩費は概算しか知らされず後日の支払いになり、
あとから誘発分娩かつ入院初日に出産というのが保険適用になったようで、概算の半額になったことでしょうか・・・。

その他、書きとどめておきたいこと

・破水は出産直前、いきんでからだった。
早くから破水してしまうとそのぶん赤ちゃんに負担がかかってしまうと思われるので、その面ではよかったのかなと。

・知人では促進剤と自然陣痛の両経験者だと、促進剤のほうが痛かったという声が多かった。
促進剤使っても3日とかかかる人もいらっしゃいますが、私のなかでは痛みが強かったぶん早く生まれてくれたと思うことに。

促進剤→短距離走
自然陣痛→長距離走のイメージ

・もし次も出産を経験するのなら無痛分娩がいいけど・・・
産院がかなり限られるので・・・リスクを考えると夫に反対されそう。

・心配していた胎盤遺残もこのたびは心配なしで一安心。

・しかし一か月健診にて子宮腺筋症やチョコレート嚢胞の状態を診てもらったところ、
チョコ→いまは小さいけど生理が再開すると大きくなる可能性あり。
腺筋症→産後半年くらいからかかりつけ医で様子を診てもらうことを勧められる。

出産を経て

出産を報告した人から、もちろん「おめでとう」と温かい言葉もいただいたけれど、
それはあくまでわたし宛で。
わたしのなかでは夫と二人で頑張ってやっとここまでこれたという思いがあって。
翌日トツキトオカを生まれた設定にしたら、親子三人のイラストの画面に切り替わってそこでスイッチが入ったようで・・・
じーんとこみあげてきて、やっと「よかった」と涙が出てきました。

ようやくここまでくることができました。
自己流妊活から始めて、出産まで3年半。
タイミング法、人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残を経て、3回目の移植での出産。
やっと無事に我が子に会うことができました。
振り返ってあのときもっとこう考えていたら、こうしていたら悲しい思いをせずに済んだ、違う未来になったんじゃないのか、とも考えることもありますが・・・(結果論ともいう)

このブログの存在にもとても助けられました。
交流というよりは一方的に発信する場ではあったけど、
気持ちの整理やモチベーションにつながっていたように感じます。
通りすがりに読んでくれた方、
読者登録やスターをつけてくださった方、
コメントをくださった方など、
このブログを通して関わってくださりありがとうございました。


今後の更新はもう少し書きたいことがあるので、まずはそちらの更新ができたらいいな・・・!


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