Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

父の葬儀を終えて

先月の31日に父が亡くなり、一週間ほど地元でバタバタと過ごしましたが、また関東の自宅に戻ってきました。

6月に脳幹出血で倒れ、直後の危篤は脱してから約3か月。
リハビリもしてもらったり「聞こえてたらバイバイしてね」という呼びかけに反応してバイバイしたりなど状態がよかったと聞いたのがお盆の頃。
しかしそこから数日後に「おしっこも出なくなって熱もある。血圧も低い。容態がよくない」という連絡が入り、さらに数日後に「もうあと一週間はもたないだろう」と危篤の連絡をもらいました。
おしっこのところから膿がたまって感染症になり、腎臓も悪くなったそうです。
多臓器不全とのことでした。

さらには危篤の連絡以降、亡くなったという電話がいつくるのかと思ってすごくビクビクする日が続いていました。
スマホの着信音が怖い。
意識しすぎて鳴っていないのにいま鳴った?と思ってしまうような。
実家の家族もいつ病院から呼び出しの電話がかかってくるのか、と相当のストレスだったようでした。(実際危篤から3回ほど呼ばれたそうです)
31日は7月に亡くなった祖母の四十九日の前日だったんです。もしかして連れていっちゃったのかな、という人もいました。

 

 

これでよかったのか?

危篤の連絡をもらっても、最期に駆けつけるのは見送る選択をしました。
もともと会話できる状態ではなかったこと、7月にお見舞いに行った際にこれが最後もあり得ると思ったこと、みんなが悲しんでいる場に行くのも辛い、地元まで高速で半日はかかる距離、バイトもなるべく休みたくなかったなどの理由だったのですが・・・
いざ亡くなってから顔を見たら、本当にこれでよかったのかな!?と疑問に思ってしまいました。
もうあとから後悔してもやり直しはきかないんですけどね・・・。

 

祖父母と父と弟

90を迎えても2人揃っていて仲がよくてボケてもいない祖父母のことが、わたしは少し自慢で尊敬していました。
「病室で呼びかけて反応した姿が、父が3歳くらいで祖母に駆け寄っていく姿に重なって涙が出た」と言った祖父。
(強がりかもしれないけど)「自分が産んだんだからおいて逝けない」と言った祖母。
先に亡くなって2人を悲しませた父が許せない気持ちもあります。

弟だけは涙は一滴も出なかったそう。
父は酒癖も悪く、素面だったとしてもちょっと癖のある人だったのでその気持ちもわかる。
両親が大きな病気もせず90まで生きているし、まともな生活をしていれば2人と同じくらい生きられる素材はあっただろうに、とにかく不摂生がなぁ・・・。

不妊治療は今周期はおやすみ

前回の陰性判定の記事で、次周期も移植したいけど夫と意見が分かれたと書きました。
あの後夫から移植の同意を得て、D32(BT13)でリセット。
移植周期に入るつもりでD3にクリニックの予約を取りましたが、ここで危篤の連絡をもらい予約をキャンセルしました。
さすがに移植は諦めた・・・
今周期はタイミング法ですらない自己タイミングに変更しました。

そして来月、四十九日の日程も決まっています。
そこでも地元へ帰省しできればまた一週間くらい滞在したいけれど、通院がぶつかると困る。
かといってまた移植を見送るのも避けたい。
なので次周期の相談だけでもと思い、D15にクリニックへ受診しました。
次周期はリセットが早ければギリギリ帰省までに移植が間に合い、ぶつかりそうな場合は調整して来月末頃に3回目の移植予定にできるとのこと。

自己タイミングといってもさすがに地元にいた間にタイミングは取っていません。(わたしは一週間いましたが、夫は仕事があるので葬儀の翌日に先に帰ったし)
受診前はD15でも薬を処方してもらってすぐにリセット→移植周期に入れると思い込んでしまっていたので、翌日のD16から慌ててタイミングを取った次第です。
内診もなかったし、もしかしてとっくに排卵済みかもしれない。
さらにはタイミング法ではいままでカスリもしたことがないのでかなり期待薄ですが・・・。
リセットだったとしても「なにもしないよりはマシ」精神でいたい。

 

偶然の再会(※愚痴です)

手続きの関係で母と地元の銀行へ行きました。
窓口の前で「久しぶり」と駆け寄ってきた姿があったんです。
高校時代の同級生でした。
(変わっていなければ)連絡先も知っているけど、何人かで集まるようなときの高校の友人グループの一人だった関係。(わたしは地元から離れてから学生時代の友人はもう片手レベルです)
見ると仕事の制服のような名札の苗字も違っていて、お腹もふっくらしていました。
「父が亡くなっていま帰ってきてるんだよね」と一言だけ言って会話を終わらせ、逃げるように母と離れた椅子に座りました。
わたし感じ悪いなと思いつつも、このタイミングと大きいお腹を前にしてにこやかに話す心の余裕がなかった。
妊娠しても続けられるような体調と仕事に就いている友人と、死産して親も亡くなった自分なんて、と比較して惨めで黒い感情でいっぱいになりました。
こういう偶然の再会は全く嬉しくないし、ちょっとスーパーに行っただけでも誰かに会いがちな田舎を呪う気持ちが強くなります。

 

お別れを経て

父のことは疎んでいましたが、それでもたくさん泣きました。
無条件に自分のことを愛してくれるのって親だけですしね。
永遠にいなくなってしまった。
出棺の前に弟、祖父、祖母、母の4人が父の棺に花を入れた姿は、今後忘れることはないと思います。
わたしは嫁にいった立場なので遺族席には座れないので、一番前の席に座り4人を見ていました。
と同時に弟は置いておいてあと3人分こんな思いをすることがあるのかと思うと強いストレスを感じる。

父に孫の顔を見せるのは無理でも、せめて妊娠報告だけでも間に合ったらと密かに考えていましたが・・・、
それも間に合いませんでした。
暗い出来事ばかり続いてしまっているので、早く妊娠、無事出産して明るい話題を届けたいなぁ・・・。
義父も亡くなって実父も亡くなったので、もうお父さんと呼べる人はわたしにはいません。
夫をお父さんにしてあげられるかがかかっている。

お父さんへ

直接言われたことはなかったけど、人づてに父は孫を待っていると聞いたことがありました。
お父さん、間に合わなくてごめんね。
あの世で死産した初孫に会えていますように。

 

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