Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

父のその後

父に会いに地元へ帰省し、先日また関東の自宅へ戻ってきた。

 

一命はとりとめることができたけど、重度の意識障害と右上下肢の麻痺。

 

意識障害については何回かに一回、「ゆうなだよ、わかる!?」と話しかけたときに返事をするくらいと、「あ」と「う」が混ざったような言葉を発することもあったけど、とてもじゃないけどまともには聞き取れない。
これ以上の回復は期待はしないほうが、と医師にも言われた。

 

搬送当日の医師の所見を見せてもらったら、
「重篤な後遺症が残る可能性があり、場合によっては命を落としてしまうかもしれません」だの「急変時(呼吸停止や心停止)には、人工呼吸や心臓マッサージなどを行わず、自然なかたちでのお看取りの方針をいたします」と書いてあった。

 

ほぼ植物人間に近く、あの状態でどのくらい生きられるんだろう。
正直、生きているだけ運がよかったのか・・・。

 

車の運転中でなくてよかったし、就寝中でも家族が気付かず搬送が遅れてどうなっていたかもわからない。

父が倒れたのは午後だったけど、午前は脚立に登って作業をしていたらしい。
脚立から落ちた、なんて話になっていたら労災も絡んできて雇用主にも迷惑をかけていたかもしれない。(田舎クオリティでわたしの同級生のお父さんのところで働いていた)

 

なんだか実感がわかなくて、実家にいればいつも通りの父がいるような気がしたけど・・・。
何度もあの姿を見ることで「病院で寝たきりの父」のほうが今後は当たり前になっていくのだ。
高齢の祖父母と自己免疫疾患持ちの母では父の面倒は見れない。
病院や施設を転院することはあっても、もう二度と父は実家に足を踏み入れることはない。
農家の仕事は今年の植えてしまった分は委託にすることにして、来年以降のことも親族ぐるみで考えていく予定。

 

祖父母が初めて病室に行った日にわたしも同行した。
祖父の涙を見てショックを受けた。(逆に祖母のほうが泣くと思っていた)
祖父は昔は恐かったけれど、年数が経つにつれて「恐い」からいつのまにか「心配」に変わっていって。
高齢の両親に心配をかける父に対して、腹立たしい気持ちもある。

 

「いつかは考えないといけない」くらいに思っていたけど、急に現実味を帯びた家族の最期や終末期。
悲しい気持ちももちろんあるけど、そればかりにも浸ってはいられなくて・・・。
今後のこと、決めないといけないことがたくさんある。

 

これがこどもが一人っ子だったら一人に両親の最期を背負わすのは大変そう。
身内では3人兄弟のところはまだ分散できている気がする。
わたしも弟と2人姉弟だし、夫、父、母のように3人兄妹に憧れはあるけど、現時点で33歳、しかも不妊ではこれから3人産むのは厳しいかもしれない・・・なんて考えた。

 

時期柄、ちょっとお店に入るだけで「父の日」という単語が嫌でも目に入った。
外出先でマタニティマークを見かけてしまったときに似た気持ちになった。

 

 

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