Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

父の危篤

昨日の15時半頃、母からの着信。
「父が仕事先で倒れて病院に運ばれた。意識もないらしい。いま搬送先の病院に向かっている」と。

 

父は定年を迎えその後単発の仕事をしていると聞いていた。
そのときは仕事とは外なのか室内なのかもよくわからずに、わたしは「熱中症とか・・・?」と言ってしまったけど、これから病院ならまだなにもわからない。
またあとで夕方電話をかけ直すことに。

 

夕方の電話では
脳幹出血だった。ここ3日くらいが山場で、万が一意識が戻っても、半身麻痺が残りリハビリや介護が必要になる。もう元通りにはならないと思ってくださいと言われた。」
(運ばれたというのもドクターヘリだったらしい。最初は痺れを訴えて、いったん仕事を交替したところ、その後座り込んで吐いたり様子がおかしいと思われ、まずは救急車を呼んでくれたそう)

 

脳幹出血で検索もしてみたけど、かなり厳しそうだと感じた。
首の一番太い脳までつながっている大事な血管で、手術もできないし予後もよくない。

 

ショックはショックなんだけど、お酒・煙草中心に不摂生な生活をしていた父。
遅かれ早かれいつかこんな日はきてもおかしくはないと心の中では思っていて、とうとうきたか、という思いもある。
そして折り合いもよくなかった。
詳細はここに書くのも憚られるくらいなんだけど、一番は、毎晩晩酌はかかさない人で酒癖もすごく悪かった。

 

最後に会ったのは先月の連休。
夫と地元に帰った。
毎年恒例の田植えの手伝い。
死産してから初めての帰省だったので、メモリアルベアや遺骨を持ち帰り、スマホの写真とともに母、祖父母に見せた。
父には見せるつもりはなかったけど・・・、
叔父さん(父の弟)も家に来ていて、お見舞金までもらった。
叔父さんにも見せるのに同じ部屋にいたから、ついでに父にも見せたという感じ。

 

ちゃんとした孫の顔は見せてあげられなかった。
本来なら息子の予定日は5月30日で。
里帰り出産にするかどうか決めかねていたところだったけど、死産しなきゃ顔を見せられた、最悪報告だけでもできたかもしれないのに・・・とますます悔いが残りそう。

 

実家はわたし含め元6人家族で、
弟(関東で一人暮らし)
母(持病あり。階段は怖い、字を書いたり手先の細かい作業は不自由。自分のことはなんとか自分でできるくらい)
祖父(週2でデイサービスを利用しているが年齢の割に比較的元気)
祖母(年齢の割に比較的元気。畑仕事もできる)
それと父とわたしだった。

 

両親の不仲はわたしに多大なトラウマを与えてくれたけど、90を迎える祖父母は仲がよく、尊敬していた。
祖母は90になっても70も近くなった自分の息子のことは可愛いと思う。
子どもを亡くして悲しむ親の姿は、いま一番見たくないのに。

 

夕方母と電話した際に、これから叔母さん(父の妹)も病院に来るらしいと聞いた。
頃合いを見計らって叔母さんにも電話した。
「いびきかいて寝ているようにも見えるんだけど・・・」と言葉に詰まらせ、涙声で「ゆうなちゃん、辛いことが続くけど、元気出してね」。
それを聞いてわたしも泣いてしまって、とりあえず電話をきった。

 

地元に帰ろうか迷った。
でも意識がないんじゃ行ってもなにもできることもないのでは・・・。
夕飯は喉を通らくなってしまって、一口だけ食べる。
無理に食べようとすると吐き気が出てダメだった。

 

似たような経験をした、と聞いていた友人に堪らずLINEした。
「わたしのときは会えたときには意識なかったけど、亡くなる前に会えてよかった」と。
その通りだと思った。

 

なにも手につかなくなって、早めに寝てみたけど、睡眠は細切れで全然寝た気がしない。
いつ急変したっていう電話がかかってくるのかと思ってビクビクした。

(それでも意識しすぎて父の夢を見た。場所は実家で、わたしは父に向かって「もう心配したんだからね!!」と怒鳴っている。父は気まずそうにわたしと目をあわせない。そんな夢だった。)
今日の朝になってもう一回実家に電話をかける。
「病院から連絡はないし容態は昨日と変わらないと思う。今日また面会時間に行く」という内容だった。

 

明日、もともと不妊治療のクリニックを予約していて、東京まで出る。
お昼にクリニックが終わったら、そこからそのまま新幹線に乗り地元へ帰ることにした。
卵胞チェックしてもらっても、夫は自宅に残るし意味がないかもしれない。
すべてが父の容態次第ではあるけど、現時点はおそらく2~3日後になるだろう次の診察予約だけは入れて、それに合わせてまた東京を経由して関東の自宅に戻るつもりでいる。
心情を考えるなら今月はタイミングをとるのは諦めたほうがいいかもしれない。

 

父には申し訳ないと思いつつも、最悪のことも考え喪服の準備もした。
明日の荷物には含めず、夫が車で合流したときにスムーズに持ってきてもらえるように。

 

実家はこれからどうなるんだろう。
母と祖母はもともと免許はないし、祖父にはもう運転をさせていない。
車に乗れるのが父だけで、スーパーでの買い物すら車でないと厳しい田舎なのに。
いくらご近所、親戚付き合いが強い地域とはいっても・・・。
助かったとしても、介護になったらどこで誰がやるの?
父が大事にしていた農家の仕事も今後は?

 

死産、胎盤ポリープの次は、父の危篤。
追い打ちをかけるように、辛いことしか起こらない。

 

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