Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

産後54日目 胎盤ポリープ緊急入院⑥ 東京の病院の判断は?

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翌日、入院3日目。
この日はもともと東京の病院の外来予約の日。
その時間に間に合うように出発することにした。

 

佐藤医師が「東京の病院の田中先生・・・だっけ?ちゃんと状況も電話しておいたからね。」と言ってくれた。
この大学病院での治療内容などの紹介状も持たされた。
点滴、導尿はこのままつけていくのかと思いきや、はずしていいことになった。
導尿はつける瞬間もはずす瞬間も、なんとも言えない感覚がある。思わずうめき声が出た。

 

担当してくれた同世代の看護師さんが、最後に話しかけてくれた。
「ゆうなさん、カルテ見たんだけど・・・。辛かったよね。
なんかわたしまで泣きそう。
あのね、わたし妹がいるんだけど・・・予定日の2日前に胎盤が全部はがれて、一昨年死産になったの。
出血も止まらなくて、塞栓術の手術も受けたんだけど・・・去年無事に出産したよ。
ゆうなさんのことも今後うまくいくように願ってるからね」

 

予定日の2日前でも胎盤がはがれたら死産になるんだ。
妹さんのことを思うとわたしまで涙が出そうだ。
気遣ってくれて本当に嬉しかった。

 

いったん自宅へ帰宅し、荷物の整理や荷造りをした。
本当はシャワーも入ってから行きたかったけど、それは許可がおりなかった。
1時間経たないくらいで出発することができた。

 

渋滞もあり、予約時間の30分を過ぎて東京の病院に到着。
改めてこの移動距離と時間は、急変した場合は厳しい。

 

婦人科で先に対応してくれた看護師さんも「大変でしたね。お昼も食べられましたか?」など気遣ってくれた。
待ち合いで少し待ったあと、田中医師にも会えた。


田中先生・・・会いたかった(泣)


「大変でしたね。いきなり出血が始まったんですか?」
このたびの新居の地での出来事を説明する。

 

「これから診察しますが、上の立場の部長と2人で診させてもらいますね。」

50代ぐらいの女医さんも加わり、軽く挨拶を済ませる。

2人がかりでの内診が始まった。
2人で診るということは、田中先生だけでは判断しづらい状況なんだろうか・・・?
内診後、夫と面談室に入る。

 

「やはり、こちらでの治療は経過観察の方針です。」

 

分かれてしまった。まっぷたつの真逆だ。

 

「胎盤の大きさは2×4㎝くらい。
血流も大きさも、完全に主観ですが前回より少しだけ減ったような気がします。
hCGの数値も今日は33で下がっています。(392→105→57→33)
下がるのはいいことですが、それと胎盤の血流がなくなるのは別問題なのですが・・・。

塞栓術の手術は妊よう性(妊娠できる力)が下がるかもしれないリスクがあります。
胎盤が機能しなくなる平均は産後3ヶ月です。(この時点で2ヵ月弱経過)
けれどどの程度の大きさや状態の胎盤遺残かは人それぞれですし、1ヶ月の人もいれば半年の人もいる、という意味です。

 

大学病院が手術をすすめてきたのは、ゆうなさんが実際出血しているのを見ているからというのも大きいと思いますよ。
大量出血が起こると危険なので、胎盤遺残で手術をすすめてくる医者はすごく多いです」

 

そもそもこの病院は「なるべく薬を使わず自分の力で」が方針なのを知っている。
だから無痛分娩もやっていない。

 

胎盤の組織を弱らせる、抗がん剤(メソトレキセート)での治療も聞いてみた。
髪の毛が抜けるほどの強い薬ではないものの、やはりそこだけに作用するものではなく全身に影響があると説明された。
この治療もできるなら避けたい。
というか手術も怖いけどこれも怖い。

 

経過観察を選ぶうえでの問題点も確認された。
今回のように命に関わるくらいの大量出血が起こる可能性があること。
そして急変してもすぐに来ることはできない、新居の地に引っ越してしまったこと。

 

そこはマンスリーマンションを借りてでも、と大学病院にも言われ、検討していることを話した。


「お守り程度ではありますが、これを飲んでください」とアドナ錠(止血剤)とトランサミン錠(出血、炎症を抑える薬)が7日分出た。
こういった薬が本当に気休め程度だったのは、血腫のときに経験した。
次回の外来予約が約3週間後に決まる。

 

あれ・・・?入院の手続きは・・・?
わたしは朝まで点滴と導尿がつながっていたこともあったし、無理に退院した気でいて。
入院するつもりでここに来てしまっていた。
けれど「入院を」とすら言われなかった。
聞かなかったけど、血液検査もたぶん問題なかったのだろう。
少しでも出血があれば入院の可能性もあったのかもしれないが、いまはほぼ止まっている。

(ただ出血があれば大学病院からの退院許可もおりなかったかもしれない)


最後に
「この大学病院の佐藤先生ってどんな先生でした?キツかったですか?電話の感じだと結構キツい感じがしましたが・・・(苦笑い)」

 

「いや、そうでも・・・?」

 

わたし「そうですよね!?そうですよね!?(思わず声が大きくなる)」

 

やっぱり、キツいと思ったのはわたしだけじゃない。
田中先生はそういうタイプじゃなくてよかった・・・。
だから引っ越しても卒業までちゃんと通いたい、と思ったのもあるし・・・。