Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

17w1d① 再入院6日目 陣痛

※暗い・生々しい内容も含みます。自己責任でお願いします。

 

17週1日① 再入院6日目 金曜

 

いよいよ出産の朝が来た。
朝食を食べてロキソニンを飲む。
もうこの分娩準備室には戻ってこれないので、荷物をまとめておく。
9時前に分娩室に移動。
生きられる赤ちゃんとこの部屋に来たかった・・・と思ったらまた涙が出てきた。
部屋に一人でよかった。

そろそろ何回泣いたかを数えるカウンターでもつけてほしい。
みんな生きている我が子に初めて会えるから頑張れそうなイメージだけど、わたし頑張れるかな・・・。
普通のお産よりひどくはないはずと思いたい。

 

「分娩室」ってもっと手術室に近いイメージだった。
けれど変形する分娩台とその上の照明は手術室っぽいけど、他は準備室とそこまで変わらない。
さすが産科で有名な大病院、モダンな雰囲気でお金をかけているのがわかる。

 

9時頃に1回目の陣痛促進剤を入れた。
効きをみながら3時間ごとに追加していくそう。
処置や診察も昨日ほどではないけど痛い。
これから何が起きるのかの恐怖と緊張で、うまく力が抜けないのもある。
今の時点で子宮口は2㎝あいているそう。
陣痛には耐えられないと聞いているのでまだ動いている赤ちゃんが出てきて、だんだん動かなくなる・・・ということはないらしい。
促進剤を入れたことによって、そろそろ亡くなったのかな・・・と、どうしても考えた。

 

医師は戻って看護師さんと助産師さんと3人になって、お腹の張り具合を見てくれる。
徐々に生理痛のような痛みが出てきた。
9時半頃には陣痛開始時刻にされたようだ。
促進剤の反応はいいようで、明後日まで伸びることはなさそう。
薬は効きやすいかもとは思っていた。
採卵も中刺激程度で高刺激並に反応がよかったから。

 

トイレにも普通に行っていいそうだけど、人によってはそこで胎児が出てしまうこともあるらしい。
それだけは避けたくて恐怖に思った。
スマホも触っていいそうだけど、そんな気分にもなれない。
痛みだけに意識をむけることと緊張をやわらげたくて、とにかくしゃべりまくる。
「いっぱいお話ししてください、迷惑じゃなかったら。プライベートのことでもなんでも聞いてください。女子会にしましょ」って言ったりして。
仕事の話や家族の話をして、だいぶ緊張もやわらいできた。

 

いったん2人は出ていき、尿意が出てきたのでトイレへ。
そこでお小水をしたあとだったのに、便器になにかかたまりが出てしまって。
さらに出てそれはペーパーでキャッチしたけど、軽くパニック状態。
呼び出しボタンを押した。
トイレにも呼び出しボタンがあって助かった。
処理してもらって、出てしまったのは胎児ではなく血腫と説明された。
赤よりピンクよりでプルプルしてた。
他人のだったら絶対グロくて見れないんだろうけど、自分から出てきたものだと思うと好奇心のほうが勝つ。

 

12時前になって夫が到着。
話し相手もできたしスタッフよりちょっとのことでも頼みやすい。
なにより顔を見て安心した。
2回目の促進剤を入れる。

 

そのあとに昼食。
こんなときでもちゃんとご飯が出て食べるもの、むしろ食べたほうがいいものなんだ。
分娩台を起こしてご飯食べたいですのつもりでナースコール。
そしたらそういうときに限って急変と思われたのかゾロゾロ4人くらい、田中医師まで来てしまって。
申し訳ないと同時に面白かった。
次の似たような軽い用事のときは、夫がわざわざナースステーションまで呼びにいってくれた。

 

わたしの状況を遠くにいながら感じ取ったのかわからないが、このタイミングで恐れていた実家からの電話が鳴った。

無視したら30分後にもう1回。
10時半頃にも一度かかってきてそのときも出なかった。
夫のほうにもかかってきた。
いまはまだなにも話したくない。
おれから話しておこうか?と聞かれたので、夫のほうからあとでかけ直してもらうことをお願いする。

夫も事後報告にしたいと言っていたけど、事前にお義母さんに連絡していたようだ。

 

ずっと分娩台で横になっているより、多少動いたりしたほうがいいらしい。
痛みをみながらソファのほうに移動したり、分娩台のまわりをぐるぐる歩いたり。
冗談半分で「ラジオ体操でもしたほうがいいですか?」って聞いたけど、「いやそこまでは動かなくてもいいです笑」。
あとおへそ周辺の腸のあたりも痛いときもあって、汚い話だけどやたらとガスも出る。
「足湯やアロマも焚いたりできますよ」と言われたので、どちらもお願いした。
アロマなんか香りが何種類もあって選ぶだけでも楽しい。

 

部屋にはピアノアレンジのラジカセの音楽もかかっていた。
知っている曲もあったような気がしたけど、ほとんど耳に残らない。
唯一SMAPのオレンジだけはよかった。
恋愛での歌詞だけど別れの曲には違いなくて、たぶんこの先聴くたびに今日のことを思い出す気がした。

 

気になっていたカーテンのむこうの、ラブホのような丸いお風呂のことを聞く。
8部屋ある分娩室のうち、水中分娩ができる2部屋だったらしい。
無駄に時間もあるので、雑談がてら水中分娩のことも聞いた。
料金は5万くらいしか変わらず通常より陣痛の痛みがやわらぐそう。
希望する人は2か月に1回くらい。
もちろんリスクがないことが前提と、あと産まれたときに自分でとりあげたいこだわりが叶う。
存在自体初めて知った。
「NICUがある総合病院での分娩を」と言われたので、ここか里帰りなら2択状態だったし、水中分娩にしたいと思えるその余裕が羨ましい。

 

陣痛の痛みは噂通りすごく痛くなったり、そこまで気にならない程度になる波がくる。
このときで強い痛みは10分間隔くらいになってきてまるで拷問のよう。
5年前に鶏の刺身にあたって食中毒になったことがある。
そのときも吐き気と下痢と腹痛が「いっそのこと死にたい」で、腹痛はその感覚にも似てて。
分娩が始まる頃になると会話もできないくらいになるそう。
それを基準にまだ会話できるということは大丈夫なのかもと考えた。


本当は6時間あけたらロキソニンが飲める。
事前にもらっていたから飲みたかったけれど、「痛みの感覚がにぶくなるのは逆によくない」とストップがかかった。
診察や拡張が怪我のような外側からくる痛みなら、陣痛は生理痛のような内側からくる痛みだ。


ソファで苦しみながら腕を伸ばした。
「そうそう、こういうときってなにかつかみたくなるんですよね」と助産師さん。
そのときわたしの手の近い位置にあった、窓の取っ手を夫が指差して「あるよ笑」に、「それ!?そこは自分の手を差し出すんじゃないの!?笑」とツッコんだ。
助産師さんも笑ってくれて、ちょっとなごやかな空気になった。