Bitter Life

30歳から始めた妊活、不妊治療の記録です。人工授精、体外受精、人工死産、胎盤遺残、その後の妊娠について書いています。

17w1d③ 再入院6日目 産後

 ※暗い内容も含みますのでご注意ください。

 

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17週1日③ 再入院6日目(前回の記事の同日その後)金曜

 

19時を過ぎて、まだ身体はフラフラだったけど車椅子で個室に移動した。
満室だったのか配慮なのか、案内されたのは人間ドック用の個室だった。
遅い夕食も半分くらい食べる。

 

ベッドから動こうとするとクラクラした。
貧血みたいな感じ。
貧血はあるんだけど数値的に12ないといけないところが11程度で、ギリギリ献血できないくらい。
画面に酔ってスマホも触れない。

 

赤ちゃんに会いたいですと伝え持ってきてもらった。
夜中に保冷剤を替えてくれるそうで、一晩一緒に過ごしていいそう。
ショックでいっさい顔も見ない人もいるらしい。
もしくは病院によってはいっさい見せないとか。
気持ちはわからなくはないけど、それもかわいそう。

 

箱をあけたらお花紙で作ったお花や、折り紙で作ったカメと犬も入っていた。
ほんの少しの変化だけど、顔がちょっとだけぼやけてしまってきて、、、
どんなに身体がしんどくてもさっきもっと顔だけでもよく見たり、夫に写真をお願いすればよかったと後悔した。
さっきはどの程度人間なのかとか、好奇心のほうが強かったけど、また改めて顔を見たら・・・。
こんなの親ばかじゃなくても絶対可愛い。生きてたらもっと可愛いんだろうなって思った。
苦しそうな顔もしていなくて、本当によかった。

 

夫はわたしより眺めている時間が長くて「見てて飽きない」と言っていた。
9月に移植して、約3ヶ月でここまで人間になるのもすごい。
身長20㎝だと、20週くらいにあたるらしい。
大きさについてはわたしも170㎝以上あるし、夫も185なので納得できる。

 

胎動はまだわからなかったのは、よかったのか残念だったのか・・・。
反応のないお腹に話しかけるのは抵抗があって、ほぼしなかった。
夫の前で茶化して言ったくらい。
性別はずっと気になっていたから、顔を見たいまは「男の子だったんだね」と自然と話しかけていた。

 

夫が名前を考えてくれた。
しっくりきたのでわたしも賛同した。
引っ越しも頻繁だったし、いま住んでいる地名から似せてつけた。
京都なら「きょうこ」とかそんな感じ。
名前をつけると逆にかわいそうと思っていたけど、人間と思わないほうが無理で。
名無しのほうがかわいそう。

 

本当に本当に、実際に体験してから考えが変わることを経験した。
当たり前なんだけど、「自分もお母さんからこうやって産まれてきたんだ」とも感慨深い。
お腹を痛めて産むってことも意味があるのかな。
突然「こちら二人のお子さんになります」ってご用意されても、可愛いって思えるのかどうか。

 

今回こういうことになったけど、まだこども欲しいって思う?と聞いた。
「今回のことで初めて自分たちのこどもの姿を見て、改めてこども欲しいと思った」
わたしは・・・。
正直もうこれ以上傷つくのが怖い。
拡張2回目の瞬間的な痛みはすさまじいものがあったし、死産なのに陣痛も出産も苦しむ時間も長くて痛くて辛かった。
なにしろ不妊。
でも夫がそう言うならまた治療頑張ろうかな。
のろけじゃなくて。
次もダメかもしれない、でも次は生きた自分のこどもに会えるかもしれない。
これが自分の人生においての妊娠、出産の最後の思い出にするのも嫌だった。

 

12週未満の初期流産を経験した人のブログから「だっこできただけでも羨ましい」という意見を見た。
そうなのかな、どちらにしろ出産までたどり着けないなら手術のほうがいいとも思う。
でも「どっちがマシか」を比べることは水掛け論だ。
体外受精にステップアップするまで着床すらしたことがなくて、不妊をこじらせて化学流産でも羨ましいと思っていた。
妊娠できて流産に怯えて猛省した。
わたしは人生史上一番辛いと思ったけど、何回も移植を繰り返しても陰性の人から見たら、この経験すら羨ましいと思うかもしれない。
その人の痛みや苦しみはその人にしかわからない。

 

一瞬胸が張る感覚があった。
母乳が出る可能性があるのでそれを止める薬、カバサール錠を飲んである。
急にむなしくなった。
出血もまだ続いているし、腹痛もときどき気になる。
23時くらいには寝てしまって、長い長い一日が終わった。